翻訳作品紹介
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第1回選定作品
作品タイトル
『日本捕虜志』
作家名
翻訳者
ロシア語版 / Karine Marandjian published
初版
1965年 新小説社
1979年 中央公論新社(文庫版)
キーポイント
  • 平岩弓枝、池波正太郎らを輩出した小説勉強会「新鷹会」創立者の代表作
(あらすじ)
「義理と人情を尊んで捕虜を処遇してきた日本人の愛と正義の心」
 
 明治37年、陸軍連隊の中隊で、中隊長が初めて収容した捕虜の見学希望者を募った。希望者は約半数。中隊長は、希望しない者に向かって理由を尋ねた。ある一等兵は「気の毒だから」と答えた。気の毒とはどういうことか、と中隊長が反問すると、敵ながら武士である者が運悪く捕虜となって、あちこち引き回された上に見世物にされるのは残念だ、と説明した。この答えは中隊長を喜ばせるだけでなく、見学希望者からも賛同を得て、捕虜見学には行かないことに決定する。当時のほとんどの日本人は、この一等兵と同じような考えを持っていた。
 日露戦争時、観戦外国武官の最高位にあったイギリスの将軍は、日本兵は捕虜の恥辱をうけるくらいなら割腹して死ぬのだと、手記を残している。この手記には、日露戦争でのロシア人捕虜は、食べ物はもちろん、ビールや煙草まで与えられているのを見て驚いた、とも記されている。
 また、日露戦争中、ロシア兵の俘虜収容所での生活を撮影した印画を敵に渡せという命令が、司令部から騎兵連隊に下った。そこで写真と一緒に麦酒を贈ったところ、敵軍は麦酒だけは辞退した。しかし敵軍は、贈り物を届けに行った兵士たちを5、600メートルほど送ってきた後、握手を交わし、仲間のように振る舞ったことが当時の陸軍教育総監部で編纂した『忠勇美談』に一例として収められている。
 著者が丹念なリサーチのうえ、数々のエピソードを再現した本作は、1949年に雑誌「大衆文芸」に掲載された。できるだけ多くの人々に日本人の誇りと魂を知ってもらいたいと、1955年に著者が自費出版を行い、諸方面に贈呈した後、大手出版社より再び刊行された。
 
ジャンル:史伝
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